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いささか古い話で気が引けるが、フライフィッシングとの出合いは十数年前まで遡る。ある無謀とも思える”野性(ウイルダネス)への接近”がこの釣りに対する強い関心を喚起させた。1986年7月アンカレッジの 空港の近くのショッピング・モールでせっかくアラスカに来たのだからと購入した#6のグラスロッド一式とライセンス がこれほどに私の人生を変えてしまうとは思いも寄らなかった。 |
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Fairbanksの河畔では自家用水上機が係留されていた |
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一部の区間は軍事上の事情で車を貨車に乗せて移動した |
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このくらいの規模の川はリバーと言わずクリークと呼ぶ |
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生まれて初めて手にしたグラスロッドで幸運にも(魚にとっては不幸...;^_^A)釣れてしまった、ソッキー・サーモン。スポーニングシーズンなのに好奇心は旺盛で人影が見えても悠然と隊列を組んで遡上していた。後で関係書で調べると7月以降はほとんど餌を口にせず、それぞれの産卵地のクリークに分隊して登って行くらしい。 |
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アラスカ鉄道の鉄橋から釣っていた猛者もいた。 |
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親友から独身の今の内に、どこか人の行かない珍しい海外旅行をしないか?と持ちかけられ2人で相談した結果半ば冗談で北極圏に近いところ=アラスカに決まってしまった。身の丈がビルの3階まで届くという巨大灰色グマ(グリズリーベア)の話や、夜も太陽が沈まない白夜の事など冒険心をあおるコメントが旅行会社のパンフレットに踊っていたからだ。
とんとん拍子にスカンジナビア航空の北欧便でAnchorageで途中降機するレンタカーパックに決定し国際免許証やパスポート、詳細なロードマップ等を手配して準備した。まだこの時点ではフライ・フィッシングなど全く眼中になかった。ただ、二週間近い旅行の間、”英語”だけでなにもかも結果を出してゆかなくては行けないという不安だけが有った。
海外遠征初日ベーリング海をあっという間に飛び越えAnchorageに到着すると現地のスタッフが出迎えに来ていた。その人はダウンタウンで外国人相手にみやげ物店を営んでおり、ハーツのレンタカー営業所でぴかぴかのシボレーのステーションワゴンを引き渡してくれた。”左ハンドル””右側通行”....友人とどちらが先に運転するかさっそくモメタ....
ルートは起点、北のFairbanksとDenali国立公園を折り返し地点とし、東のValdezを結ぶ非常にポピュラーなものにした。国道沿いにこぎれいなモーテルがあり、キャンプ場も完備された地帯だからだ。途中不思議なことにカーステから流れるカントリーの歌詞が理解できたり、ファーストフードで女の子に話しかけられたり、現地の若いしに絡まれたり...
Anchorageから郊外へ出たところで2〜3日の食料品と今回思いがけない人生のメルクマールとなるコートランドの#6フライセット、二週間分のライセンスを釣具屋で購入しレギュレーションを流ちょうな英語(当り前)で聴く。何度もルールは守れと脅かされる。グリズリー(灰色グマ)とムース(へら鹿)には気をつけろ、車で衝突したら死ぬのは君だ...と。
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(中略、全て話すにはボトルが空く...)旅はあっと言う間に終わった。夢のような日々だった。いつかこの思いを誰かに伝えたい。アラスカのウイルダネス(素晴らしい人々、動植物、畏敬すべきこの大自然の創造主)と、はからずも手にしたこのグラスロッドに心から感謝した。そしてマッキンリーの中腹で眠る植村直巳さんにこの地球上の天地の価値を一人でも多くの人と味わい分かち合うことを心で誓った。 |
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